Renaissance ルネッサンス
サンドロ・ボッティチェッリ
ルネッサンス画家としてあまりにも有名な「ビーナスの誕生」、「春」が代表作品で、美しい女神の顔が印象的です。
「地獄の見取り図」は、ダンテが述べている9段階の地獄を描いており、恐怖を感じさせ、これまでの画風とは全く違っています。
神曲」は、92頁全面の挿絵がボッティチェッリによって書かれています。
ドゥランテ・アリギエーリ(Durante Alighieri)Dante は、「Durante=永続するもの」の短縮形。イタリア文学最大の詩人で、哲学者、政治家としても活躍しました。
ダンテは1265年、教皇派の小貴族の子としてフィレンツェで誕生しました。 聖ジョヴァンニ洗礼堂(サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂 ”花(=聖マリア)の大聖堂” に付属する教会)で洗礼を受けました。
代表作である「神曲 La Divina Commedia」は、「地獄 Inferno」、「煉獄 Purgatorio」、「天国 Paradiso」の三篇から成り、執筆を始めたのは1307年頃で、完成したのは死の直前の1321年です。「神曲」は、ラテン語ではなく、トスカナ地方の方言で書かれています。
ダンテは、政治家として活躍するも、党の内紛からフィレンツェを永久追放になり、地方都市を放浪した後、ラヴェンナ領主に保護され余生を送りました。外交使節として赴いた、ヴェネツィアの旅から帰る途中、ポー川の湿地帯でマラリアに罹り、客死しました。
ダンテの墓は、今もラヴェンナの聖フランチェスコ教会近くの質素な霊廟にあり、フィレンツェからは、生誕地へダンテの遺骨を移したいという要望があっても、ラヴェンナ側は引き渡しを拒否し続けています。
初恋の女性ベアトリーチェとは、9歳で出会い、その9年後に運命的な再開をしたもののうまく打ち明けることができず、ベアトリーチェは銀行家と結婚後若くして病死しました。
ベアトリーチェは、ダンテ教会として知られる(サンタ・マルゲリータ・ディ・チェルキ教会)に埋葬されています。墓碑のすぐ近くに置かれた籠は、恋に悩む人々からのベアトリーチェへのメッセージであふれています。
ダンテの永遠の憧れの女性、ベアトリーチェは「神曲」で、天国への案内役として登場します。
ダンテの娘アントーニアは、修道女になり、ベアトリーチェを修道女名に選びました。
フィレンツェで始まるダン・ブラウン作のラングトン教授活躍スリラー、「インフェルノ」は、今の感染病にも当てはまるような過去の疫病の話にも及んでいます。地球上の人口が爆発的に増えると感染症が発生し、これまで何度もパンデミックが起こって人口が激減したことで、生活レベルが向上するという作用からルネッサンスが起こったという極端な理論が根底にあります。
インフェルノのフィレンツェでは、隠れたミステリースポットが紹介されています。
フィレンツェ 「インフェルノ」に登場する場所
Porta-Romana
ロマーナ (ローマへ通じるの意味)門
Boboli-gardens
ボーボリ庭園 & ピッティ宮殿
ヴェッキオ宮殿
Palazzo Vecchio
ヴェッキオ宮殿
Vasari Corridor
Dante’s Chrch
Baptistery St. John